『ビブリア古書堂の事件手帖』と電子書籍

ラノベよりちょっと上の年齢層をターゲットにしているメディアワークス文庫で目下最大のヒット作ということで『ビブリア古書堂の事件手帖』をご紹介頂いたので、この年末年始でさくっと既刊2冊とも拝読致しました。
 # これがラノベか一般文芸かは角川グループホールディングスの開示資料を待つとしてw

やたら書籍に詳しいという設定の女性が登場するラノベ系作品、というと『文学少女』やら『涼宮ハルヒの憂鬱』やら『ダンタリアンの書架』(ちょっと違うか・・・w)やらあるわけですが、そのうち『文学少女』に関しては2年近く前に「文学少女と電子書籍」などという文章を書いたので、これを受けて『ビブリア古書堂の事件手帖』を電子書籍に対するインプリケーションという視点において読んでみるのもありかなと思ってこの文章を書くことにした次第です。
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思い返すと2010年が電子書籍元年ってことにされてましたけども、2012年になっても商業的に成功している電子書籍のエコシステム(プラットフォームでもバリューチェーンでも可)が少ない、という事実をちょっと立ち止まって考える必要はあるのですが、それはさておき。
ともあれ、当時、電子書籍の意味という視点から、『文学少女』の天野遠子の「本を食べる」行為に

・ 食べる行為に紙である必然性(紙メディアじゃないと食べられない)ことと、紙メディアへのパッケージングそのものを否定することのアンビバレンス
・ 関連してコンテンツとメディアの関係(切り離しと再結合)への問題意識の提起

を見出していたのでありました。
今読み返すとその辺は
デジタル化の道が拓かれつつも、紙媒体を選び取るにあたり、それが、古書屋の懐かしい、ひんやりした空気と饐えた匂いと共に思い出になっていく道を選んでいるのではなく、おそらく、電子書籍を積極的に肯定した上で、やはり紙に留まるであろうことを予感させます。
とか
本を愛せよと、コンテンツがどういう形で提供され消費者に訴求されるべきなのか考えよと、いう問いかけでもあろうかと思います。
とかテキトーに済ませてて、ちゃんと書ききれてないですけどもー。あはははは。

ともかく、本を食べるという行為には、書籍というパッケージングそのものに愛着があるビブリオフィリズムからすると食べるなんてとんでもない!という引っ掛かりもあり、蛇足ではその一点においてやはり焚書(biblioclasm/libricide)に近い性格も帯び得ることを指摘していました。

『ビブリア古書堂の事件手帖』をこのような視点を受けて読むと、象徴的なのは様々な稀覯本が細部を飾る中で、太宰治『晩年』の初版本や福田定一『名言随筆 サラリーマン』が作中において重要なアイテムとなっていることで、『文学少女』よりも極めて、ある意味では狂信的なほどに、ビブリオフィリズムの世界に生きている作品という印象を受けます。

いやいや、これは確かに電子書籍じゃ無理というかそもそも見ている地平が全く交わらないよね、という。

そうはいっても、作品自体は最初の章の漱石『それから』で作者の三上延さんの文章を書く行為の意味の暗示がなされ、それに対する心情を続く『落穂拾い』『論理学入門』で描かれているように読んで、そこから湧いてくるのは、電子書籍を真っ向から否定する姿勢ではなくて、書籍パッケージに対する郷愁と古い世界に留まることへの静かな決断、という穏やかなものではあります。
 # 角川グループの電子書籍配信プラットフォームのBook Walkerでは配信されてないのも、首尾一貫してますw 今のところですがw


さて、私としては、この作品が電子書籍がうまく立ち上がってないタイミングで出てきたこと、そして既刊2冊で100万部を突破していること、前後して自炊業者に対する作家の訴訟があり、その中で裁断された本は正視に耐えないといったような表現が出たこと、の意味を気にしているわけですけど、書籍パッケージに対する郷愁が実はやはり根強いのかなあ、電子書籍に対するアレルギー的なものもあるのかなあ、メディアミックス展開どうするのかなあ、やるなら実写で映画化かなあ、などと色々思っているのでした。




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