男の娘試論(1):まずは「男の娘は素敵な何かでできている」のかなと思ってみた

 まずはバカテス2期はがないアニメ化を祝しまして。

最近、アニメやらラノベやらを見ていると「男の娘」に属する登場人物がやたら多く目に付くようで気になっています。
男の娘、というのはWikipediaの同項目などにあるように、心身ともに女性のようにしか見えない男性を指す、とのことなのだけれど、この手のキャラクターとなれば、思い返すとネットで膾炙したのは5年ほど前の渡良瀬準あたりからとしても、それにしてもここ2-3年で急増したなあと。

思い付くところを挙げると『バカとテストと召喚獣』の木下秀吉とか『シュタインズ・ゲート』の漆原るかとか『僕は友達が少ない』の楠幸村(とりあえず)とかあるけども、例えばニコニコ大百科の男の娘にある羅列を見ると驚きますね。

男の娘に限らず、もう少し幅を広くとって男の娘の反対(男性のような女性)、男装女子、女装男子、といった範囲まで取るとそれこそ追いかけきれない程のキャラの数になっているように思われますが、いや、まあ、いずれにしても、男の娘ということであれば、バカテスの秀吉あたりからより一般化したような印象を受けます。

職業的な興味としては、これは売れるための必須条件となりつつあるのか、後述するようにピークアウトを示すものなのか、ラノベ、アニメ、PCゲームを超えて他の分野(特にモバイルソーシャルゲーム)に拡散するものなのか、というところに帰着するので、ちょっと真面目に考えてみようかと思った次第であります。

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・・・さて、増えた増えたというものの。

単なる男装女子・女装男子ということであれば、それこそ我が国の神話であり、かつ最初の歴史書であり、最古の文学である『古事記』・『日本書紀』から既にヤマトタケルノミコトの熊襲征討における女装が描かれているわけで、歌舞など芸能を中心に連綿と続く伝統ではあります。

あるいはまた、男性であることを隠して表向き女性として振る舞う、あるいは女性であることを隠して男性として振る舞う、という制約を課した主人公を設定し、その制約ゆえに起こる騒ぎを主にコミカルに描くものも、サブカルの範囲では30年ほど前の『ストップ!!ひばりくん!』のヒットが以降、頻出する材料のように思われますし、歴史を遡ればそれこそ『土佐日記』や『とりかへばや物語』など1000年ほど遡ることが可能なように思います。

そんな中で「男の娘」なる用語が出てきたのはWikipediaによればこの10年くらいのようで、上記の例との差異は

男性であることを隠す必要がない

という点にあるのだろうと理解しています。
もちろん、GID(性同一性障害)を悩み、それを隠したいというテーマや描写を持つ作品も多くあるように思いますが、いわゆる男の娘をいう場合にはGID的な悩みが実際や一般的な場合に比べ希薄であるように思われます。
男性でありながら、女性的な思考・嗜好・容姿(以下、面倒なので女性性と書きますね)を受容あるいは肯定している、とも言えましょう。

その上でさらに言えば、

- 女装男子に比べ、持続的、恒久的に女性性が維持される

ということもいえるかと思いますが、そうなると

- 男性であることと女性性が強いことのアンビバレンスがより人間関係・社会関係において露出しやすい

- 女性性が強いゆえに女性として振る舞うことは、表面的な事象としては単純な女装男子と同様だが、異なるものである

という特徴が出てくるものと理解できるかと思います。

そしてまた、男性であることを隠さなくていい、という点に注目すると、おそらくオカマやニューハーフと差はないわけですけども、アニメ・ゲーム・漫画といったサブカルを念頭に置きつつ、何が新しいか、何が差となっているか、について考えると、厳密な線が引けるわけではないにしても、傾向として

- 美形(萌えなり恋愛なりの対象となりうる)

- 若い(ほとんどが中高生の年齢)

ということがいえそうに思います。

以上のような状況を整理してみると

- 従来のトランスジェンダーものよりも男性の女性性が強く描かれる

- 本人も周囲もそのギャップをある程度受容している

- 見た目的には若くて美形である

といったあたりが男の娘の特徴となるように思うわけですけども、これは一体何を意味しているか、なぜこのタイミングなのか、ということを整理してみたいなあと思っています。

男の娘とは逆に、女性の男性性が強い状態で、性別を隠す必要がない場合に関して、最近できた用語がない(あっても一般化していない)、とりあえず思い付く用語が「男装の麗人」だったりする、とすれば、そうした存在が以前からあったからに他ならないと思いますが、これと「男の娘」と対比させられればカッコイイですね。

それと、併せて、結果的に生ずるBL的な関係、百合的な関係も含めてLGBT全般に広がりそうな気配もしますが、軸を見失わない程度に必要に応じて考えてみたいと思う次第です。

と問題を設定した上で、何も調べずに予備知識的な範囲でとりあえず思い付いた仮説的な理由としては

- 王朝文学末期から衰退期に『とりかへばや物語』『有明の別』『石清水物語』などのLGBT系作品がある。てことはラノベとかサブカル漫画とか転換期にある?

- 社会における男性の女性化の反映?

- 上記に関連して、男性にも化粧品売りたいとかいう商業的背景?

- 処女崇拝的傾向の鈍化?(かんなぎとかのせいで)

- GIDを弱くするか無くすることで、BL需要層への訴求が可能になる?


というようなものですが、だとすると理解するためのツールなりフレームワークなり価値観の体系として、例えばサブカル的なところで東浩紀の動物化やデータベース消費、斎藤環の戦闘美少女あたりはあまり使い物にならないように思いました。
# いやなぜ秀吉や幸村があんな名前なのかとかって考察するには後者はツールとして有効な気もしますがw

で、色々な文献にあたっていってるわけですけど、読みながら思い付いたこと、ある程度考えがまとまったこと、を何回かに分けて書き記していこうかと思います。

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ということで、タイトルはマザーグースの、

男の子は何で出来てるの?
男の子は何で出来てるの?
男の子は何で出来てるの?
カエル カタツムリ
小犬の尻尾
そんなこんなで出来てるさ

女の子は何で出来てるの?
女の子は何で出来てるの?
砂糖 スパイス
素敵な何か
そんなこんなで出来てるわ

を受けて、男の娘は素敵な何かでできている、としてみました。

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