のと鉄道の決算書に見る「花咲くいろは」のその後、鹿島臨海鉄道の決算書に見る「ガルパン」効果

1年経ったからアップデートしたよ。
面倒だったからレポート形式ではなく、tweetをtogetterでまとめました。

のと鉄道の決算書に見る「花咲くいろは」のその後、鹿島臨海鉄道の決算書に見る「ガルパン」効果

そんじゃーね!

花咲くいろはとのと鉄道、ガールズ&パンツァーと鹿島臨海鉄道

ちょっと前からこのネタは構想としては温めていたのですが、日経に「萌え鉄」記事書かれちゃったのもあるし、会社で色々あってむしゃくしゃしたので書いてみました。反省はしていません。


のと鉄道と鹿島臨海鉄道に見る萌えアニメ聖地巡礼の収益効果


ブログにするにはちょっと量が多いので、PDFでレポート風な体裁にしてみました。重さは400KBあります。

レポート風の体裁を採るにあたり憧れの二段組みにして格好つけてますが、レポートとするには調査が不十分なのでエッセイといったところで不満が残るので、
調査兵団に入って・・・とにかく萌え産業にどっぷり浸かりたいです(≧∇≦)

労働量としては財務分析(データの入力、グラフの作成など)に1-2日程度、文章に1日程度費やしています。

おお、これ面白いと思ったら大々的に拡散して下さると嬉しいです。

あるいは、こいつこんな仕事させたらいいんじゃね?みたいなことを思った方は是非ご連絡下さい。

ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル(スクフェス)の売上とか

酒を飲んで頭痛が抜けないので酔い覚ましがてらちょっと書きます。

ブシモプラットフォーム向けにKLabが開発・リリースしたラブライブ!スクールアイドルフェスティバル (スクフェス)が話題ですねー。

 → KLabの新作『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル』が超好スタート…売上ランキング5位に登場 Social Game Info
 → 「ラブライブ!」のiOS向けゲームアプリがトップセールスランキングで5位に 4Gamers

リリース直後で上位にきたので目立ってます。

なのでちょっと売上とかざっくり目安というか叩き台的なものを準備しておこうかと。


『ビブリア古書堂の事件手帖』と電子書籍

ラノベよりちょっと上の年齢層をターゲットにしているメディアワークス文庫で目下最大のヒット作ということで『ビブリア古書堂の事件手帖』をご紹介頂いたので、この年末年始でさくっと既刊2冊とも拝読致しました。
 # これがラノベか一般文芸かは角川グループホールディングスの開示資料を待つとしてw

やたら書籍に詳しいという設定の女性が登場するラノベ系作品、というと『文学少女』やら『涼宮ハルヒの憂鬱』やら『ダンタリアンの書架』(ちょっと違うか・・・w)やらあるわけですが、そのうち『文学少女』に関しては2年近く前に「文学少女と電子書籍」などという文章を書いたので、これを受けて『ビブリア古書堂の事件手帖』を電子書籍に対するインプリケーションという視点において読んでみるのもありかなと思ってこの文章を書くことにした次第です。

男の娘試論(番外編):オリンパスと母性社会に関する雑感

 男の娘試論、滞ってますが、そのうち続きを書きます。

その前に、ちょいと、番外編として今年後半世の中を騒がせた一連のオリンパスの件につき、男の娘について考えていた視点で思ったことなど簡単に。

男の娘試論(2):『放浪息子』の場合河合隼雄が日本人の自我は女性原理であると『昔話と日本人の心』で論じていることを記しましたが、心理学、精神医学では日本社会が基本的に母性社会であるという理解は一般的で、河合隼雄に限らず、小此木啓吾、土井健郎などが様々な角度から論じている、ということは知っておいてよいように思います。

その中で、日本社会の特徴として、例えばここ数年で出てきた「空気を読む」「いじる・いじられる」といったような場の論理が重視される傾向が言われ、

・場の安定・維持・継続が重視される
・場の倫理に従う(空気に従うことが法や契約に優先する)・・・場に身を委ねる、的な?
・その限りにおいて場は個を守る(包み込む)

という、要するに無言で「わかってほしい」「わかる」という関係に従う限りにおいて全て受け入れるが自立・離脱を認めない、という関係が指摘されていると読むことは十分に可能と思います。

また、この文脈において宇野常寛『ゼロ年代の想像力』を読む時、そうした「甘え」を、セカイ系との対比において、意図的に(ある意味で狡猾に)利用していく力を母性のディストピアと呼びながら、高橋留美子と東浩紀を取り上げながら論じていることは、非常に正しい着眼点であると思います。

この『うる星やつら』や『らんま1/2』などの母性のディストピアの世界観は主に「社会に出ない・出さない方向で機能している」世界について論じているわけですけど、オリンパスの一連の動きは、これが日本社会において、現実や企業経営において支配的であるとするとどうなるか、という好例のように思われます。
  # ところで『らんま1/2』もトランスジェンダー作品的には重要ですよね・・・

オリンパスで起きたことは、報じられているところを読む限り、代替わりしても継続された損失の先送りのスキームは、すなわち「場の空気を読み、それに従う」価値観が社内、少なくともマネジメントには共有されていたことをうかがわせるものですし、おそらく(完全な推測ですが)日本で叩き上げでマネジメントになるプロセスにおいて、オリンパスという母体に完全に「委ね」、取締役会に「従う」ことがマネジメントになる明確ではない条件であったのだろうとも思えすらします。
新米っす!色々教えて下さい!お願いしやす!的なものが取締役会にあったのではないかということですね。

また、発覚後の一連の対応は「あんたんとこもそうなんだろう?わかってくれるよね?」的な甘えが全面的に漂っているように個人的には印象付けられましたが、もしそれが大多数にとってそういう印象であったならば、母性社会的な社内倫理が外部に滲み出ていることの証左に他ならないように思います。

そしてまた、一部報道されるように、オリンパスの社内文化として相互の監視・密告が根付いていたのだとしたら、それは母性社会の厳しい方の一面が出ているという理解のされ方も十分に可能であると思います。

このように極めて母性社会の論理・倫理構造に近い行動をオリンパスが取り続けてきた件は非常に興味深いと思ったのでした。



男の娘試論(4): 『僕は友達が少ない』における「場」

 『僕は友達が少ない』のアニメ放送始まりましたね〜。
これは良い、などと思いつつ拝見しました。

ということで今回は『とりかへばや物語』でもう少し引っ張って、『僕は友達が少ない』の楠幸村について読んでみたいと思います。
 # 前々回に書いた『とりかへばや物語』で『僕は友達が少ない』を論じてみたい、です

楠幸村についてはメディアファクトリーの公式サイトならびにTBSのアニメ公式サイトでそれぞれどういうキャラなのかを見て頂くと、とりあえず、男子生徒である、見た目は女の子である、男らしさを求める、というような「男の娘」設定がなされていることがわかるかと思います。
 # ちなみにtwitterの公式アカはYKMR_KSNKですね。

で、これがどういう男の娘なのかということを『とりかへばや物語』とのアナロジーで読もうという話なのですが、かなり曲がった読み方のような気もしますので、一般的な解釈ではないだろうことを予め記しておきます。
ただ、ちょうど『とりかへばや物語』を読んでいて、なるほど、”男の娘”の形としてはなかなか特徴的で面白い、などと思った次第で、折角なので書いておきます。
以下、原作について、激しくネタバレ含みつつ書きますのでご注意下さい。


男の娘試論(3):白洲正子と『バカとテストと召喚獣』

 前回は河合隼雄の『とりかへばや、男と女』から、ユング派的な視点で『放浪息子』を観ると割とすんなり嚥下できるんじゃない?的なことを書きました。

しかし、それはそれで納得するとしても、一方で「なぜ”今”なのか」ということについては一切答えていないし、答えるツールにはなっていない、という問題が残ります。

端的に言えば、評論家さんや思想家さんたちに「今時ユングかよww 時代に合ってないじゃん、プププww」などと言われても仕方がない、ということですね。
 # 尤も、そうやって突っ込まれても、自分は素人だし、試論だしぃ〜、といって逃げますけどw

「男の娘」が新しい現象であると、それこそ、例えば男の娘雑誌の『わぁい!』の創刊時期などを考えると、ポスト・ゼロ年代的ですらありえることを思えば、それを考えるツールも古いものだけではなく新しいものが必要になるだろうことは理解しています。

・・・ですが、「何が起きているのか、なぜ今なのか」をあれこれ考える前に、もう少し、古典的な作品などから連想されることを書いて、どういう現象なのか、どこに引っかかるのか、を考えたいと思います。

で、今回はBLにしても男の娘にしてもなぜ中性的な男性が出てくるのか、という点につき、前回の『放浪息子』を受けて進めたいと思います。



男の娘試論(2):『放浪息子』の場合

 前回のエントリでは、理解するためのツールなりフレームワークなり価値観の体系として、サブカル評論的なのは向かないっぽいとか書きましたけども、じゃあどうすんの?となると、とりあえず、女装男子とか男装女子とかをカバーするトランスジェンダー文学の古典といえば『とりかへばや物語』だよね、構造的には『まりほり』と似てるし、河合隼雄の『とりかへばや、男と女』という分析もあるしぃ〜、ということで、この辺をとりあえず使ってみます。

『とりかへばや物語』で実は『僕は友達が少ない』を論じてみたかったのですが、『とりかへばや、男と女』を読んだところ、あーこれ『放浪息子』にピッタリじゃん、とか思ったのでまずは『放浪息子』について書いてみることにします。
# 『はがない』の『とりかへばや』っぽさはいずれ書きたいです

男の娘試論(1):まずは「男の娘は素敵な何かでできている」のかなと思ってみた

 まずはバカテス2期はがないアニメ化を祝しまして。

最近、アニメやらラノベやらを見ていると「男の娘」に属する登場人物がやたら多く目に付くようで気になっています。
男の娘、というのはWikipediaの同項目などにあるように、心身ともに女性のようにしか見えない男性を指す、とのことなのだけれど、この手のキャラクターとなれば、思い返すとネットで膾炙したのは5年ほど前の渡良瀬準あたりからとしても、それにしてもここ2-3年で急増したなあと。

思い付くところを挙げると『バカとテストと召喚獣』の木下秀吉とか『シュタインズ・ゲート』の漆原るかとか『僕は友達が少ない』の楠幸村(とりあえず)とかあるけども、例えばニコニコ大百科の男の娘にある羅列を見ると驚きますね。

男の娘に限らず、もう少し幅を広くとって男の娘の反対(男性のような女性)、男装女子、女装男子、といった範囲まで取るとそれこそ追いかけきれない程のキャラの数になっているように思われますが、いや、まあ、いずれにしても、男の娘ということであれば、バカテスの秀吉あたりからより一般化したような印象を受けます。

職業的な興味としては、これは売れるための必須条件となりつつあるのか、後述するようにピークアウトを示すものなのか、ラノベ、アニメ、PCゲームを超えて他の分野(特にモバイルソーシャルゲーム)に拡散するものなのか、というところに帰着するので、ちょっと真面目に考えてみようかと思った次第であります。


文学少女と電子書籍

iPadの発売日でもあるし、ちょっと電子書籍のことなど。

『文学少女』、というラノベに惹かれたのは、もともと仕事上の流れで、同僚の角川担当者が角川のラノベを起点とするクロスメディア戦略においてどのくらい投入できるコンテンツに余裕があるかを『このライトノベルが凄い』からある程度予測していたのですが、その同僚から『このラノベ(ry』を何冊か借りたのがキッカケでして、古典文学を愛する文学少女の話が上位にランクされてることに驚いたところから始まりました。

で、しばらくして、去年だったか、アニメ化されるということで、いやこんな内容のが、などと再び驚いたわけですけど、去年も後半になってみると、電子書籍ネタでかなりメディア方面が騒然となっていて、
 # 私もハードウェアのチームや前述の角川担当の同僚と一緒にタブレットデバイスと電子新聞・電子書籍・教育に関するある意味で美しいレポートを上梓しました
 # ご興味のある方は、twitterなり何なりでご連絡下さい

そして気がつくと、この2010年は電子書籍元年だ、なんてことになってるんですかね。

そんな年に、古典文学を愛し、本を千切って食べる少女の話がアニメ化される(しかも映画というフォーマットで)という状況は、もちろん偶然ではあるのだろうけれど、やはり何がしか暗示するものがあるのだろう、という思いが拭えずにいます。
 # まあ、その意味では、今年アニメ化されたのが『文学少女』でなくて『図書館戦争』だったとしても、同じように何がしかの意味を見つけ出そうとはしていた気がします。
ところで、『図書館戦争』も年号が正化だったり、主人公の名が郁だったり、わかってるなあ、って感じですよね。


ということで、以下、『劇場版 文学少女』の若干のネタバレを交えた感想と牽強付会な戯言にお付き合い下さる方はご覧下さい。
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